「源氏物語書巻五十五帖」

いったい「書」とは何なのか?
「書」は、あくまで文字を書くものだと思っていた
例え「読めない字体」であっても、「字」を「書く」ことが「書」である、と
石川九楊は現代書家として名高い
得意先の会社のロゴも九楊デザインだ
九楊の「源氏物語書巻五十五帖」が完成し、文化博物館で公開されていたので、見に行った
写真は「若菜上」
光源氏、親子ほどの齢の差の女三の宮をめとる
圧しとどめようとしても頭をもたげる紫の上の心のさざ波
文字の一画を「こーこーこー‐‐‐ろーろーろー‐‐‐」とつぶやきながら書く
反復する声を、幾重にも微分する筆画に重ね合わせたこの作が書でなかろうはずはない
そうですか?、としか言い様のない感じだが、「五十五帖」に渡りそれぞれの何かが様々な「書」にされ、全体として巻物を構成している
例えて言うなら、「器」であった「陶器」が、オブジェという形を持って「陶芸」になったようなものか?
未だ「五十五帖」は解読できないが、そこに新たな世界が拡がるのは確かなようである
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